株式会社クレアネットの代表取締役ブログ

参拝神社

京都は堀川通の晴明神社で五芒星におまいり

晴明神社は、平安時代中期の天文学者・安倍晴明公をお祀りした神社です。
創建は寛弘4 (1007)年。 晴明公の偉業を 讃えた一条天皇の命により、その御霊を鎮めるために、晴明公の屋敷跡である現在の場所に社殿が設けられました。
応仁の乱後、 一時、衰退しましたが、近年に入り、氏子が中心と なって、整備・改修が勧められ 現在の姿となりました。

偶然前の車に晴明桔梗印ステッカーを見つけて、この車にぶつかったら逆にこっちが相当怪我しそうだぜ、と感じたこの陰陽師阿倍晴明、晴明神社です。
京都の京阪出町柳からバスで201号、203号系統1本で近くまで来れます。ずっと乗ってると臨済宗妙心寺や北野天満宮まで行くバスです。

晴明桔梗印というのは、「晴明桔梗」とか「五芒星」とか言いますが晴明公が陰陽道に用いる祈祷呪符でして、このマークを見ると五芒星なので晴明じゃ、と思ったりするマークです。

近代では、戦時中に弾除け(多魔除け)の意味をかついで、軍帽に刺繍されていました。今でも伊勢志摩(三重県)の海女さん達は、頭に巻く手拭いに☆を刺繍したり、貝を採る道具に彫ったりして、安全を祈願されているそうです

そんなわけで鳥居にも五芒星が描かれていまして、初めて見ました五芒星鳥居。堀川通に面した一の鳥居に神社名ではなく、金色に輝く社紋の陽明桔梗が掲げられています。ついでにバス名も晴明神社前バス停がありまして、堀川通からも五芒星は見えます。

安倍晴明公 (920-1005) は孝元帝(こうげんてい)の皇子大彦命(おおびこのみこと) の御後胤で、幼い頃から非常に多くの道に秀でておられました。
特に、天文暦学の道を深 く極められ、式神を思いのままに操る霊術をも身に付けられておりました。
成人されてからは、天文陰陽博士として ご活躍。 天体を移り行く星や雲の動きを観察し、
宮殿の異変や遠方での吉凶を言い当てられ、朝廷をはじめ多くの人々の信望を寄せられたと伝えられています。

晴明公は、朱雀帝から村上、冷泉、円融、花山、一条の6代の天皇の側近として仕えられ、数々の功績をたてられます。
一条帝に仕えておら れた寛弘2 (1005)年9月 26日、85歳でお亡くなりになりますが、
晴明御霊神として祀られた後も、 我が国の陰陽道の祖として広く尊敬を集めておられます。

学習漫画にもなっています、安倍晴明さんは。

自己紹介

趣味はマラソン、サッカー。よく走り、よく蹴り、よく学び、よく仕事し、よく経営する。

常に明るく前向きに、夢を希望を抱いた経営を。

勤勉は喜びを生み、信用を生み、そして富を生む。人間の大切な徳。徳である限りこれを積むには不断の努力がいる。

アーカイブ

RELATED

PAGE TOP