


歴史ではあまり出てこない近衛天皇の存在ですけど、立場上は後白河法皇の腹違い兄弟であって、源平の戦いから鎌倉幕府できるまでは後白河法皇がたびたび出てきて活躍していますのでこの時代の話です。
ビジネスの話になりますが、兄弟で仲が悪いというのはまあよくあることでして、後白河法皇と崇徳天皇の保元の乱の戦いなんかもまあよくあるといえばよくあることで何とも何とも言い難いものがあったりします。ここは竹田駅から歩いて5分くらいのところで城南宮近くにある鳥羽離宮のところです。
後白河法皇の皇子、以仁王は平家にやられるのですが、その前に以仁王として平家討伐の令旨を全国に出したことから、源氏が立ち上がり平家滅亡へとつながっていくのですけど、熊野御幸があるのもこのあたりは貴族も士族も兄弟も関係なしになってきている時代だったので、兄弟げんかするわ崇徳上皇の兄ちゃんは呪ってやると血で書いた書類送ってくるわ、崇徳上皇は自分の曽祖父の子供でなんかおかしいとか、子どもの以仁王は平家に殺されるわ、頭が痛くて毎日かなわんだとかなら、頭痛解消も兼ねて33回熊野詣したくもなるし、神仏に救いも求めたくなりますほんとと思います。
熊野に行くことで心を取り戻したのかもしれないですし、頭痛が治ったのかもしれないですし、これ歴史を淡々と漫画読むとわからないのですけど、点でなく線になって進んでいるので、
・兄弟げんかするわ
・崇徳上皇の兄ちゃんは呪ってやると血で書いた書類送ってくるわ
・崇徳上皇は自分の曽祖父の子供でなんかおかしいとか
・子どもの以仁王は平家に殺されるわ
・頭が痛くて毎日かなわん
後は源氏もややこしいし義経はうまく使えそうだけど、頼朝はややこしいわ、みたいなのが重なると熊野詣に行きたくもなるとも思うのです。たった1点の過去の出来事でなく事実が積み重なっているので、そこに熊野詣に行きつくのでしょう。
源平合戦で活躍した、佐々木高綱、熊谷直実なんかも高野山で出家してますので、戦とはいえわずか15歳の平敦盛を殺すのは忍びなかったのでしょうし、そこには救いの地である高野山や浄土宗などが存在していたのだと思います、熊野比丘尼や高野聖なんかも同じようなものなのではと感じます。
