仕事をしていると、人を大切にしているように見えて実はその人自身を見ていないことがあります。
結局は「自分に何をしてくれるか」「付き合って得か」「逆らうと面倒か」といった箇所でして、そんな利用価値だけで人を見るようになると人間関係はいつの間にか取引になります。
会社経営をしていると、学歴や経歴や肩書などでは人の本質は分からないと痛感します。東大を出たから優秀、泥臭く働くから古い、要領がいいから賢い。そんな単純な話ではないのが実にわかります。
昭和的な体力と根性だけで押し切る働き方にも限界があります。一方で、制度や理屈だけを使いこなし人とぶつかることを避け続けても大きな仕事はできません。経営では、時には泥臭く頭を下げ、時には理屈で交渉し、時には相手の懐に入る必要があります。賢さだけでも、根性だけでも足りない。必要なのはその両方を使い分ける力です。
一方で、人を長い目で見ることと、見込みの薄いものをいつまでも引っ張ることは違います。
昔、会社員時代に上司から「谷さんは成果が出なかったら、また法律の世界に戻るんでしょう」と言われたことがあります。当時は少し厳しい言葉にも聞こえましたが、今になれば「そりゃそうだ」と思いますし、今でも覚えているので本当にありがたかった言葉だと感じます。仕事はするものの成果が出ず、成長の見込みも薄い。それでも区切りをつけずに続けていれば、本人だけでなく周囲も疲弊する。仕事である以上、どこかで判断しなければならない。期限を決め、結果を見て、続けるのか、方向を変えるのか、やめるのかを決める。それも全部責任です。
ただ、自分自身を振り返ると、ここには弱さもあるのを痛感していて、司法試験に長く挑戦した経験がある分、「もう少しやれば変わるかもしれない」「本人が諦めていないなら、もう少し見よう」と引っ張り過ぎる傾向があります。
長く挑戦した経験があるからこそ、その経験をもって人の可能性を信じたいという性善説で考えることも多く、しかしその経験を他人にもそのまま当てはめてはいけないとも思います。この性善説でなんど失敗したかで言えば回数を数えきれませんので後悔はしてないのですが大いに反省はしております。
人を信じることと、明確な判断を先送りすることは違いますし、育てることと、抱え続けることも違います。
人の価値を今日の損得だけで測らず、可能性を見ると同時に、経営者として必要なところでは区切りをつけるのも大事。その両方を持つことが、人を見る上で大切なのだと思っています。そんな悩みは日々ですので「ちょっとこの先は厳しい」としっかり伝える経験がないことは、マネジメントにとっては大きな未経験リスクにも思えたりします。
