松虫交差点南すぐの、仁徳天皇のご創建 阿倍王子神社さん。
熊野九十九王子(くまのくじゅうくおうじ)の1つ、5.阿倍王子は5番目になります。九十九王子はなにぞやですが、東海道五十三次みたいなもので、とにかく長いので各それぞれに茶屋や旅館や宿場などがあって、目印になるようなものが作られていたのでは、というものです。実際には99以上あるのですけどめちゃ多いよ感ということで、このへんは人間今も昔も適当感出ます。中国4千年歴史とか餃子一日10万個とか、そんな感じのアバウトです。
1番目は天満橋の八軒屋のすぐ近く、坐摩神社行宮ある窪津王子です。京都から淀川下って大阪で降りた場所は天満橋のはちけんや、なのでここが最初になります。上町歩くと「くまのかいどう」いう石碑が出てきますがあれが熊野詣の石碑です。でもって阿倍王子が5番目、田辺市では芳養王子に万呂王子、秋津王子などありますが、最後のほうは那智勝浦の、
浜の宮王子
市野々王子
多富気王子 と続きます。
多富気王子は熊野那智大社のすぐ下、大門坂のとなりくらいのところでもうラストって感じです。後白河上皇の熊野御幸は有名で34回も熊野詣したらしいですが、あの時代にすごいなと本気で思います。平維盛が那智湾向こうの山成島で入水したのが1184年なので、ちょうど後白河上皇の熊野御幸が多くされていた時だったことから、最後は熊野詣もかねて導かれたのかもしれません。平家物語には急に那智勝浦町の山成島出てくるので、その時代背景がわからないとなんともなのですが。
ちなみに、田辺の万呂王子なんて梅畑の真ん中くらいに碑が建ってるだけでありがたみもあまり感じないのですが、九十九王子を実際に順に巡りたい気持ちはあります。ポイントポイントを押さえながら、20くらいは現実的にちょくちょく行けそうなので、はちけんや、田辺、本宮、那智勝浦、ルートでちょくちょく巡りたいと思います。
あと、ブログが4700回を超えたのですが、最初は誰かに伝えたいとか業務に活かしたいとか読んでほしい人がいるとかだったのですけど、別に誰に見せるわけでもなく人のつながりやいいねを欲しいわけでもなく、自分の備忘録と過去記録など自分のためにやっていたりもしまして、評価をもらいたいとか感想を聞きたいとかはあまりないからこそ続いているような気もします。別に熊野九十九王子とか山成島とか万呂王子なんでもいいというのが1000人のうち999人だと思うのですけど、大阪、田辺、那智勝浦をしっかりと結ぶのが熊野九十九王子であって、後白河法皇が行幸した歴史が900年近く前にあって、というわけで、なにか縁を感じるわけでして。