







小楠公の飯盛山です。
小楠公は楠木正行公のこと、桜井の別れです。
ノーベル賞の坂口さん、北川さん、受賞され素晴らしいのですがなんかの分析でいわゆる、小学校受験とか私立とかではないという話が出てて、60代や70代の方たちはあまり私学など少なかったのではないかと思ったりもするのですが、このへんはまあバランスがいろいろ難しかったりします。追い込まれないとやらないのが人間なので本気で悩んで困ったら、なんとか動いたりするものです。成功してる方などだいたい苦労と挫折、辛酸をなめてるものでそこから本気で考えて至ってるようにも思います。数字なども今のままでは枯渇して先が真っ暗、と感じるからこそ数字に意味がもたされるのであってぬるま湯に浸かっていてもあまりどうもならない環境のような気がしています。
田舎もので物事の是非を知らなくて、英才教育でもなんでもないほうがきっと20代では無理としてもその先の20年、30年、40年積み上がった時には、相当な差がついているような感じがするものです。自分がぜんぜん英才教育な感じがないので、根っこの部分がなんか違うように感じるので田舎は田舎でよく、都会は都会でいいんだろうと思ったりしています。遠回りたくさんしたのであかんこともわかるし、大事なこともわかるので。
昔ダンスにはまったときがありまして、かなりのトレーニングして上手になったものの、この先いったいどこまで上がればいいのかだったり発表で演技が出来たとしても自分なりにトップオブトップまでは相当な肉体を身に着けないといけないのと、鍛錬の賜物からすれば小さい時から馴染んでいる洗練された人とは、やはり相当な差があってというのでなんとなく足を洗ってしまったのですが、こういうのは仕事でもあると思います。
逆にサッカーなんかは個人のレベル差があっても試合になればそれを補うことができるので、これはこれで自分の下手さが結果に出ずにラッキーな部分あるし、仕事でもまあ同じです。分け入っても分け入っても青い山、種田山頭火の心境で何でも生きているのですけど、逆に仕事なんかで言えば全てが足し算か掛算にできるのでチャンスと言えばチャンスな気もします。
デザインとしての学びもある、だけでなく、営業にディレクションに、事務に提案にと技術的なことに加えてビジネス的なこと、後は資格なんかもあれば二刀流でなく三刀流にもなるので、PRもしやすい気がしますし、意識的にこういった業務PRができるような形での、もちろん面談者や会社人事向けの資料作成にかかると上手くいく気もします。また自分さえもPRできないから多分クライアントワークのPRも無理でしょうとか思ったりもしています。ただただ、40歳代や50歳代まで来るとそもそも全く知らない第三者に自分のPRをしなくても、今までの経緯や人物を知ってもらってる方の引き上げがあるのが通常じゃないのだろうかと感じるのですがいかがでしょうか。
なんとなくそんな経験を多くしながら、飯森山登山は楽しいのでなんとなく今回は北条神社ルートでした。
お遍路や西国33か所も同じように、時代とともに巡り合う機会がまた生まれるのだと思いますし、人間はそんなものです。
