

主祭神
・宇迦之御魂神(ウカノミタマ):伏見稲荷の主祭神である稲荷大神
・国床立大神(クニノトコタチ):神世七代で最初に現れた神であり、真名井神社では豊受大神と同神とされる
・猿田彦大神(サルタヒコ):伏見稲荷の祭神・佐田彦大神と同神と云われるが、この神名で祀られるのは珍しい
北大路の紫野あたりです、大徳寺さんの南側の船岡山にあります。







飛鳥時代末期(709年)に秦氏によって穀物織物の神として祀られたことに始まるとされます。義照稲荷神社の横に祀られる稲荷命婦元宮(いなりみょうぶもとみや)は、伏見稲荷大社の命婦社の親神であるとされ、「船岡山の霊狐」が祀られているされています。
上記のことから、伏見稲荷大社の創建前に既に秦氏により信仰されてきた稲荷神社であると言え、一説には、此処が伏見稲荷の前身となった「元・伏見稲荷」であるとも云われています。
元伏見稲荷です、よしてるさん。伏見稲荷さんは、奈良時代初頭に創建された稲荷神社であり、全国に3万社あるといわれる稲荷神社の総本社で、また、日本三大稲荷の筆頭であり、京都の代表的な観光スポットとしても非常に有名な神社ですので、まあよしてるさん偉大です。
歴史上三大よしてるあげると
・室町幕府13代将軍 足利義輝(よしてる)さん ← 永禄の変で三好長慶に殺害される
・村上義日(よしてる)さん ← 大塔宮の身代わりとなって北条方に殺害、吉野の金峯山寺近くにお墓あり
・そして ここ義照(よしてる)稲荷神社 「元伏見稲荷」ということで。
あんまり活躍してない感じが否めないのですが、元伏見稲荷なのでちょいちょい京阪で伏見稲荷さんおまいりに行こうと思います。
義輝の院号より光源院と改称された、臨済宗の相国寺もまた今度。
なんで信長公の建勲神社境内の末社なのかはわかってませんが、信長公の桶狭間出る前に敦盛の舞で「人間50年下天のうちをくらうれば」のフレーズは大好きなので、人間50年からすればもう後3年の猶予しかありませんので、大学受験の差し迫った高校3年生くらいのピリピリ感を持ちつつ1日1日を必死に生きながらえたいと思います。ちなみに本能寺の変で最後森蘭丸などに守られながら炎の中で敦盛を舞ったシーンが出てきたりするのですが、人間50年という信長であっても49歳であったのであと1年足りませんでしたから自分なら後2年。
自分は凡事なので定時に仕事上がって土日もゆっくりして休んで、経験も技術も身につくはずないし人より3倍努力するから2倍成果が出る、そんな意識はサラリーマンときから変わらないので、あと2年継続して、ハードにハードに働いて働いて能力を高め、顧客に成果を出していきたいと思います。
