後白河法皇は、平安時代末期の第77代天皇です。退位後は、30余年にわたって院政を行いました。
後白河上皇は、永暦元年(1160)には、最も尊崇された日吉(滋賀県)、熊野本宮(和歌山県)の神々を、法住寺内に勧請されて、新日吉・新熊野神社を創立され、新日吉祭小五月会や熊野御幸(紀州三山御幸)前の御精進には必ず御参詣・御参籠なさいましたが、実に、上皇の熊野御幸は前後三十四回も行ってました。
後白河法皇様のお墓、法住寺陵があります。
目の前には後白河法皇の院所だったことで知られる「法住寺殿」の境内、三十三間堂があります。御陵(みささぎ)は天皇のお墓になるので宮内庁管轄になっています、吉野の後醍醐様も、山科の天智天皇も、堺の仁徳天皇陵も宮内庁の看板があります。