株式会社クレアネットの代表取締役ブログ

大阪・南森町

真田幸村が最後亡くなった天王寺逢坂にある安居神社

真田幸村公終焉の地、なので幸村記念碑があります、天王寺逢坂おおさかです。神社は菅原道真が九州・大宰府に送られる際に、出向する船の風待ちのため滞在したとされるので天神社さんでもあったりします。
受験用の合格絵馬などもたくさんあります。真田幸村はずっと人質生活をしていて、戦国時代なので仕方ないのですが日の目に出てきたのがこの豊臣と徳川の戦いの、大坂冬の陣と夏の陣くらいしか歴史書に出てこないのですが、いろんな歴史漫画読んでも赤甲冑来て真田隊が徳川家康陣地に押し寄せてもうちょっとのところまで追いつめたシーンが描かれています。

大坂夏の陣だと家康陣地は茶臼山という、今でいう天王寺公園あたりの場所に陣地があったのでこの安居神社からすぐ、でした。

真田信繁(幸村)は約3500の兵を連れて、徳川方最強といわれた越前勢に突撃。見事越前勢を崩した後は本陣にめがけて3回に渡って突撃を繰り返したといいます。この攻撃に家康陣は混乱を極め、戦場から逃げ出す兵も多数いたとのこと。家康の馬印が倒れ、家康は死を覚悟し自害(切腹)を口にしたとの逸話も残っています。

堀を埋め立てられ丸裸になった大阪城、勝てる要素も少ないことなどわかっていた幸村でしたが最後の最後まで戦い抜き、享年49歳でこの安居神社で終焉を迎えたわけです。
ちなみに茶臼山は標高26mの山です、天保山に匹敵するくらい低いのですが歩いて頂上辺りには大坂の陣のおもかげもあるので、それはまた今度。

関連しているブログ記事一覧

自己紹介

趣味はマラソン、サッカー。よく走り、よく蹴り、よく学び、よく仕事し、よく経営する。

常に明るく前向きに、夢を希望を抱いた経営を。

勤勉は喜びを生み、信用を生み、そして富を生む。人間の大切な徳。徳である限りこれを積むには不断の努力がいる。

固定ページ

RELATED

PAGE TOP