和歌山城の中にある、和歌山県護国神社です。
明治13年から明治28年までは和歌山城公園内の天妃山で、明治29年から昭和11年までは和歌山城内砂ノ丸で、明治戊辰の役以来の和歌山県出身戦没者奉慰のため、招魂祭が斎行されていました。
戊辰の役以来国難に殉じた和歌山県出身の戦没者36670柱の英霊を祭神、としています。和歌山でもそんな数の方が英霊になっているのか、と思います。
陸軍少年航空兵に捧げる慰霊碑などもあり、国のために亡くなった和歌山出身者の方の神社ということで、のぼり旗には和歌山市だけでなく、県内全体の地域名があって、白浜町、田辺市、新宮市なんかもありましたし、あえての本宮町、中辺路町、なんかもありました。正確には田辺市中辺路、田辺市本宮ですが、当時はまた違ったので名前もその当時の名前になっているかもです。今あるのは英霊のおかげ、今のこの平和な時代があるのも、国のため人のため子供のために亡くなった方の犠牲があったから、そんな気持ちを常に持ちつつ英霊に手を合わせます。
おかげさまの精神とか利他の心などいろんな言葉がありますが、少し遠い離れた存在ではなく身近な父母であったり祖父母であったりなど、自分の存在を考えるとご先祖がいたからであってお墓に手を合わせたり、護国神社におまいりすることも感謝の気持ちや利他の精神と同じです。もう亡くなっているご先祖たちに手をあわせると同時に、国や町を守って命落した方たちに手をあわせることも全く一緒です。無償の愛で大人までしっかり食べさせてくれた親に感謝できないのも、またしょうもない大人にも感じますし、親をしっかり看取ることで1人前、のような本を読むとそれも間違ってない気もします。
とりあえず、和歌山県護国神社では、二礼二拍手一礼から入って御朱印買ってお賽銭を入れ、感謝の気持ちを抱き、和歌山で仕事頑張るぞと気合を注入します。
こうすると、仕事でも縁を繋いでくれた方への感謝が自然に生まれますし、感謝の連鎖と幸せの連鎖が繋がっていくと思うのです。常に明るく前向きに、夢と希望を抱いて素直な心で経営を行う、経営の12箇条の12番目の心になります。