伊能忠敬といえば江戸時代に日本地図作成のために測量して全国を歩き回ったという、日本にはよく出てくる人物です。
地図を作成し始めたのが50歳以降なので中年の星、かのように理解されますが全く違いました。伊能忠敬自体は幼少期に伊能家に婿養子に入って、50歳で江戸へ出るまで佐原の名主・村方後見で活躍して、浅間の大飢饉のときには領民に米を与え死なさずに救い、窮民に救恤米や見舞金を出すなど、伊能家は救貧活動に力を尽くしたと言われています。さらには、利根川の洪水には、堤防修築のために奔走して領民を救ったそうで、まさに素晴らしい領主であったそうです。
その忠敬ですが、学問の道を志し伊能家当主となっても天文・暦学などの勉学を続けていたので、中でも優れた測量の技術を既に修得していたみたいでして、伊能忠敬が55才から17年かけて全国測量したのは、ずっと勉強していたからであって、ポッと出ででてきて測量やった人物でも何でもないということがわかりました。偉い人は必ず秀でて出現してきますので、長い年月を経るとその差というのは圧倒的なものになるものです。伊能忠敬は測量だけに興味があったわけではなく、いろんな書籍や経過などの報告の多くを文章にまとめており、その文章にすること自体が後世に伝えるためのものと初めから理解していたようです。
よく年齢のことで言えば、アンパンマンのやなせ先生が69歳で大ブレイクとか、カーネルサンダースさんは65歳から始めたなどいうのですが、幼少期から青年になり成人以降に大活躍しているとは言わなくても秀でた部分があって、その蓄積が50歳以降に出ただけ、そんな感じは多々あります。いきなり大ブレイクなんかは夢物語なので、大切なのはコツコツ日々思考を重ねて実践することです。伊能忠敬読んでそう思ったものです。
有能な方というのは与えられた選択肢の中で最も能力発揮できる環境を選択出来て結果も残ることができるのだろうと思いますけども、凡人はどの選択肢を選んでも大差なく同じ程度の同じような結果で終わるように思います。それなのにあのときにこうしてればよかったなどといった過去に後悔をもちがちで、それこそが凡人の最も大きな不幸なんだろうと思ったりするのですが、伊能忠敬の優秀なお殿様が算術や天文や歴学に触れているうちに、その成果が出始めて結果として日本地図作成のために日本を防衛するために能力を発揮するというのは、天才にしかできないような気がします。
なかなかお会いしませんがたまに、こういった異業種で活躍する方いますが、得てして最初から聡明であって、周囲からすれば大きなチャレンジのように見えますが本人的には全てが繋がっている、そんなものです。
土地勘がないのでカシマスタジアムの近くに伊能忠敬記念館がある、とアバウトに記憶しました。