皇居外苑にある、建武中興の忠臣であった楠木正成公(楠公)の銅像ですが、超絶かっこいいです。
高さ約4m、台座を含めると約8mの高さを誇り、目の前にするとその荘厳な姿は圧巻で、原型製作に約3年、完成までに10年の月日をかけてつくられたそうです。後醍醐天皇が隠岐に島流しにあうのですが、なんと自力で脱出して戻ってきたときにお迎えした時がこの楠木正成公だそうです、島から脱出する後醍醐さんはすげえですが、「正義の忠臣」楠公のかっこよさもまたすごいです。
桜井の別れ、四条畷の戦い、
かえらじと かねて思へば 梓弓 なき数に入る 名をぞとゞむる
こちらは湊川神社、智・仁・勇の三徳を備え聖人と仰がれた南北朝時代の名将、楠木正成公をお祀りする神戸の名社です。
南北朝時代のような昔は武力がものを言いまして、楠木正成公はまさに武力にも知力にも長けた方でそれでいて最後まで忠君を貫き戦ったので、三国志でいうなれば関羽雲長です。いくら武力あっても呂布のような人間は後世までも好かれないんです、筋を通すであってり何かあっても「お天道様が見ている」精神がないといつかどこかで破綻するのではと今くらいになるとしみじみ思うものです。
昔ですが「創業3年目に社員を1人残して、全員が退職する危機が訪れた。顧客の40%を失い、売り上げも30%減少した。」ときがありました。
人をだましてでも裏切って利己的に生きるという三国志の呂布のような、忠誠に欠けた社員がいて、その者を中心に在職中に会社を作り名刺を作り営業活動してやられたのですが、この社員たちに肩を持った取引先が複数いました。
さすがに顧客とはいえ「ちょっと商売では筋を通さないと、ビジネスは信頼関係でしょ」と聞いたもののずっとしらばっくれていたので、埒があかないので強い口調で叱責したのですが逆に「お前の管理能力だろうが!ふざけるな」など反論を受けたのでこれはだめだと思い、喧嘩別れになったことがありました。1つは飲食店、1つは印刷屋、1つはサーバエンジニアですが、あれから10年以上経って今どうなっているのかというと、今は3つとも全部どの会社もありませんので、ご商売でも人生でも大きな流れでいけばそんなものだと思います。
ご商売は信頼を積み重ねるものであるとか、信頼は1つ1つ積み重ねないといけないけど信頼が崩れるのは一瞬で崩れるなどいうのですけど、逆の社員立場の場合で考えたとしても、まずもって裏切るとかないですし元いた職場に砂をかける行為はしませんし、雇用を受けるのは一宿一飯の恩を受けること、裏切る行為してまで生きて飯を食うべきではないしそれなら社員に戻るくらいの気概を持たないといけないと思います。
先ほどの紹介した1つ、その飲食店に対しては、「お天道様が見ている」= 結局ビジネスでは信頼関係なので、縁が切れることがあっても信頼関係があればまた戻ることもあるので、エビデンスなど多くそろえている状況で嘘はよくない・・など内容で書面を送ったのですが、書面に不満文書を書いて返送で戻ってきたことを覚えています。
参考:経営危機から生まれた「現代版三方よし」
https://bplatz.sansokan.jp/archives/3170
「創業3年目に社員を1人残して、全員が退職する危機が訪れた。」顧客の40%を失い、売上も30%減少した。
あとでわかったのですが、裏で首謀者がいて社員に悪口などを吹き込み画策していたというのが発覚しました。
現実社会リアル版のアガサクリスティ「そして誰もいなくなった」状態、ついでに裏で全員が画策していたのだから「オリエント急行殺人事件」です、ヒュージョンして「オリエント急行誰もいなくなった事件」です。
文字だけでなく背景を読みとる諸兄にはわかると思いますが、全員退職してるのに顧客の40%を失い、売上も30%減少しか落ちてないというのは、
・よほどスタッフの能力が大したことないのか
・ぼくがよほど頑張ったのか
・顧客を失いずらいビジネスモデルだったのか
あたりですが、3つともだいたいあたっています。仮に今社員が全員「再・そして誰もいなくなった」でもたぶん数字的には同じような減少かなと思ったりしますし、1度経験してるのでもう少し上手に数字を落とさないこともできるように思います。法律の使い方、社員の使い方、専門家の使い方、顧客への根回し対応など、1度経験するのは実に有益です。ついでにこの事件がなかってもどこかで失敗していたのだと思うのと、経営あるあるなのでこれはこれでいい経験を積むことができました。
話は戻りますが、大きい商いや長くご商売されている方はみんな、「お天道様が見ている」精神で常にいないとやはりいけないということをわかっていまして、社員も取引先も最初は支援しますが、まともな人ほど離れるものですし、なんで楠木正成公のような生き方が今もなお尊敬され好まれるのかはそこに理由があります。せめて経営というリーダーはそのような意識を持つべきであって、そうでない会社の社員は本当に不幸だと思います。
「お天道様が見ている」精神 = 葬送のフリーレンでいうのなら「ヒンメルならそうしたことだよ」精神であって、神社やお寺まいりでいろいろ感じるのは、「お天道様が見ている」精神が小さい頃についたので今なお生きていることであるからこそ、おまいりにきたときに自分の内省から「しっかり全力で仕事できてるか」「自分に言い訳してないか」などなど省みることばかりになるので実にすっきりするのです。上杉謙信が戦前に毘沙門天に祈っていたように、そんなものに近いのかと思ったりします。
「お天道様が見ている」= 「ご先祖様が見ている」 でもいいかもしれませんが、そう考えるとご先祖様がいない、知らない、などは若干そうなると弱いかもしれないです。それでも父親を病気で早くに失くした人でも立派な人はいますが、酒癖悪く暴力の父親は離婚して片親で育ったなど環境聞くと愛情が弱くて裏切りが当然の倫理意識が弱くなるのは当然ですし、その事情で名字が10代で変わったなど聞くと血のつながりあるもののアイデンティティが希薄になりがちで「ご先祖様が見ている」規範が弱いのも事実。
人は騙してでも幸せになればいい、ならまだしも、人は騙すから幸せになれる、発想を当然の是とする規範もあって、これは最初の初見だけだとわからないのが怖いところであって、経営するというのは結局のところ、智・仁・勇の三徳を備える正成公のような圧倒的な力、資本主義社会においてはちゃんと稼ぐし力もつけることが大事と思うので、信頼も得るし稼ぐしお金から逃げないし、資本主義で織り交ぜながら上手に生きないといけないと思うのです。稼がないと部下を食べさせられないし、周囲を不幸にしてしまう結果になるので。
20代は自分だけでいいのですが、30代、40代、という年齢、家族、自分自身のフェーズによって関係性も変わりますし、社会性や関係性も意識していかないといけない、と思っています。
三国志の呂布は裏切りの繰り返しで最後は当然死にます、なかなか人生最後まで裏切り通していくのは難しいのでしょう。