和歌浦天満宮さんですが、菅原道真公が大宰府に左遷させられる途中、風波を避けてこの和歌浦の地に立ち寄られましたところが所以になるそうです。
道真公は大阪淀川周辺にある島を勘違いして淡路島と思ったことから淡路に地名がつきますし、立ち寄った場所がそのまま「菅原」いう地名にもなりますし、何かと菅公伝説が多いのでこのへんは阿吽の呼吸で納得しておこうとようやく気付きました。まあよしとして、和歌浦天満宮のこの急な坂はなかなかヘビーでした。
しかし和歌浦湾は美しいこと限りなし。
万葉集の代表歌人・山部赤人「若の浦に 潮満ちくれば 潟をなみ 葦辺をさして 鶴鳴きわたる」潟をなみ=片男波 と呼び名が決まるのですが、ほんとうにここは美しいところです。
奠供山とか宝来岩とかもめぐりたかったですし、家康様の紀州東照宮さえも行けなかったのでまた次回にします。
自分含めて人間はふつうみんなが「怠惰」な生き物だと思うので、目の前の楽なことがあればすぐそちらに堕落するのが当然、だからこそ実際に足使って見て触れて感じて五感フルで経験積むことが最も大事と思うし、記憶にも残ることができたりします。紀州東照宮さんへもまた次回、と書かないと忘れるので書いているのもまた1つです。
人間は怠惰な生き物、だからこそ、「これできないと終わる、大ピンチ度合98」みたいな状況を敢えて作らないと動かないので、あえて作るのもまたその1つです。いわゆる締め切り効果とかいうもの。