1945年8月14日、終戦前日に京橋駅周辺が米軍の空襲を受け、500人以上が犠牲となった。この悲劇を忘れないため、1955年から慰霊祭が始まり、現在は妙見閣寺の4代目住職・小土井祥博さんがその思いを受け継いでいる。師匠の竹内祥起さんが記録した被災者の証言をもとに、月2回の供養を続け、戦争の記憶を未来へとつなげている。高齢化が進む中、参列者の中には「次世代に伝えたい」と語る親子の姿も。戦後80年を迎え、慰霊祭は世代を超えて平和の大切さを語り継ぐ場となっている。
京橋の南口なのであまり大きくない改札のほうですが、終戦まであと1日のところで多くの方が被害にあいました。「日本のいちばん長い日」という本を読んでいると15日にはもう連合軍の攻撃も停止していたようなので、ほんとにあと1日、で命が奪われたわけです。総務省や大阪市などの情報を読むと多くの方が桜宮小学校で荼毘に付されたそうで、遺族ではないのですが慰霊祭当日に少しだけ立ち寄ってお花を捧げてきました。
写真は前日の様子ですが、当日はマスコミもテレビも多く朝早々に行ったものの、事前準備も何もなく行ってしまったのでご焼香の線香も事前に置いてあって取材されそうになるわ、カメラはなんかあるわでちょっと場違いでしたが、坊主を連れていけてよかったように思います。
戦争の悲惨さと平和の大切さは、私自身多く馴染みがない以上坊主たちもさらにわからないはずなので、慰霊祭で何をしているのかなどをしっかりと伝える機会や学ぶ機会は大切だと思うのです。
特に地域柄的にも近くの京橋駅でそんな大変なことがあった、なんてことはほんとに今の今まで知らなかったので。
※ 日本のいちばん長い日
役所広司さん阿南惟幾陸軍大臣役「腹を切るのは俺一人でいい」で映画にもなってますし、本でも漫画でもありますが、1945年8月15日、終戦―。その前夜、日本で何が起こったのか。 戦後70年を迎える今、伝えたい、知られざる運命の日々―。ぜひとも見てほしい映画です。