目的的行為論では、人の行為は単なる身体の動きではなく、一定の目的に向けて選択された意思ある行動だと考えます。人は目的を定め、その実現に必要な手段を選び、行動する。つまり、目的が曖昧なままでは、何をすべきかも、何をしないかも決められません。これは人生にも、会社経営にも通じます。
「20代のうちに夢設計図をつくる」「自分が笑顔になれる仕事を選ぶ」「常にナンバーワンを目指す」。言葉にすると少し大げさに聞こえますが、自分が進みたい方向を決めることには大きな意味があります。目的が決まれば、必要な情報と不要な情報が分かれます。まさに「目的を決めれば、99%の情報はノイズに変わる」のです。自分でコントロールできるのは、人でも自然でもなく、基本的には自分の時間と行動だけです。だからこそ、頭の中で考えるだけで終わらせず、書き出し、小さくても行動に移す。思考は書くことで輪郭を持ち、行動することで現実につながります。
組織でも同じです。上司が方向性を示さないまま「君はどうしたいの?」と尋ねても、部下は迷います。正解を探し、上司の顔色を読み、本音を言わなくなる。方向性のない「どうしたい?」は丸投げですが、目的や価値観を共有した後の「どうしたい?」は裁量になります。若いうちは寄り道しても、飲み会に行っても、無駄と思える経験をしてもいい。ただ、考え続けて動けなくなるより、まず行動してみる。動けば失敗も痛い目もありますが、そこで初めて自分に合う道が見えてきます。
受験も、進学先選びも、仕事選びも、考え方はすべて同じです。「周囲が受けるから」「親に勧められたから」「有名な会社だから」と、自分の軸がないまま選べば、結局は人の価値観に流されます。流されるのは意志が弱いからではなく、潜在意識にまで深く浸透した目的がないからです。自分は何者になりたいのか、何を実現したいのか。その目的が心の奥まで透徹していれば、目の前に多くの選択肢や誘惑が現れても、必要なものと不要なものを自然に見分けられます。目的は単なる目標ではなく、迷ったときに戻る原点であり、日々の選択と行動を最後まで遂行するための軸なのです。
大きな目標を掲げ、小さな意思決定を繰り返す。その一ミリ、二ミリの積み重ねが、やがて臨界点を超え人生や組織を別の景色へ連れていくのだと思います。とすると最初に強い意志で何かを自分で決める、目的があいまいだと行動もあいまい当たり前の理屈です。あと富士山登ると目的決めると必然的に節制したりするのも当たり前、願えば何でも叶うはずなく一定の努力も研鑽も必須になるものなので、ようやく先達の凄みがわかったりします。
