井の中の蛙のまま、起業したくなかった
26歳で司法試験を諦め、その後、IT業界の営業職に就きました。
もちろん最初からうまくいったわけではありません。結果も出ず、戸惑い、失敗ばかり。それでも日々改善を繰り返し、土日も夜遅くまで勉強し続けました。
少しずつ営業で結果が出るようになり、その後ディレクター職に移ってからも、愚直に行動と改善を積み重ねることで成果を出せるようになりました。在職1年半ほどで、「自分なら起業できる」という確信は持っていました。
ただ、一つ大きな不安がありました。
この会社、この環境、このやり方だから結果が出ているだけではないのか。別の会社、別の文化、別のやり方でも自分は通用するのか。いわば、「井の中の蛙、大海を知らず」の状態で起業してしまうことへの不安です。
当時は社長が亡くなり、頼りにしていた先輩もいなくなり、優秀な社員が次々と起業して会社を離れていく時期でもありました。自分自身にも焦りがあったのは間違いありません。それでも、起業前に一度は違う環境で自分の実力を試しておきたい。その思いから転職活動を始めました。
ナショナルクライアントの仕事を経験する
転職先には、いわゆるナショナルクライアントと呼ばれる、日本を代表するような大企業の案件が多くありました。社長をはじめ役員の方々も、もともとコンサルティング業界出身。まさに知的労働の極みとも言える環境で、当時の自分には非常に魅力的でした。入社後は、水を得た魚のように知識と経験を吸収しました。大手企業との仕事の進め方、代理店案件の構造、プレゼンテーション、社内外の調整、品質管理など、それまで知らなかった仕事の世界を数多く経験することができました。
結果として、この転職は起業前の自分にとって非常に大きな財産になりました。今でも当時の社長や上司にはよくしていただいており、感謝してもしきれません。
起業しても、前職とは競争しない
その後、起業を決めた際にも、社長や役員の方々からは「頑張れ」と温かい言葉をかけていただきました。ただ、自分としては同じ業界で起業する以上、前職と競合するようなことは極力したくないと考えていました。そもそも前職はナショナルクライアント中心です。自分には、そうした大企業の案件を継続的に受注できるだけの実績も人脈も能力も、当時はありませんでした。役員の方々もそのあたりは理解していて、「谷は中小企業を相手に、情熱と愛嬌でうまくやるんだろう」と見ていたようです。実際、その方向で起業したため、大きなトラブルもなく独立することができました。そして起業時に、自分なりに一つ決めたことがあります。
万が一、前職と同じプレゼンやコンペで競合することがあれば、理由を問わず自分が辞退する。
これは今でも変わりません。
前職の顧客には営業しない
もう一つ決めたのが、前職の取引先には一切営業しないということです。起業して数年後、以前担当していた顧客から直接声をかけていただいたことがありました。非常にありがたい話でしたが、丁重にお断りしました。
そのうえで前職の社長にも連絡し、「こういう相談をいただきましたが、こちらでは受けませんでした」と筋を通しました。お客様にもその事情を説明し、理解していただきました。
法的にどうこうではありません。自分の中で「それをやったら格好悪い」と思っただけです。商売は長く続けるものです。短期的な売上より、信用を失わないことの方がはるかに重要だと思っています。
15年間続けた、お中元とお歳暮
独立後も、お盆と暮れには欠かさず前職へお中元とお歳暮を送り続けました。しかも送るものは、前職時代に自分が仕事で関わっていたモロゾフのギフト。
それを15年ほど続けました。その後、コロナ禍でリモートワーク中心になり、オフィスに人が集まらなくなったことで、
「もうお中元やお歳暮はええで。みんな会社におらんから食べられへん」と言われ、そこでようやく終了しました。ただし卓上カレンダーだけは、今でも送り続けています。
自分では勝手に「卒業生の生存確認」だと思っています。これも、自分なりの義理であり、仕事に対する姿勢です。
商売は競争。でも信用を失ってまで勝たない、ビジネスは競争です。
他社より優位に立つためには、持っている知識、人脈、営業力、技術力、行動力など、ありとあらゆるものを総動員しなければなりません。競合企業を出し抜く努力も必要です。ただ、その行動の中に信用があるかどうかは、常に考えます。信用を失ってまで金を稼ぐことはしない。声をかけてもらった恩、教えてもらった恩、育ててもらった恩は、できる限り返す。そして、自分がしてもらったことを、今度は次の世代に返していく。最近は「恩返し」というより、恩送りという言葉の方がしっくりきます。
退職者を15周年パーティーに呼ぶ会社
前職の15周年パーティーには、なぜか退職後の自分も招いていただきました。ホイホイと参加し、酒を飲み、飯を食い、そのままホイホイと二次会まで参加し、なぜか人前で話までさせてもらった記憶があります。
辞めた社員を普通に周年パーティーへ呼ぶ。これだけでも、会社や経営者の懐の深さ、器の大きさを感じます。特に印象に残っているのが、若い人を支援する姿勢と、教育に対する考え方です。
国にとって大切なのは、教育と国防
当時の社長から、「国にとって最も大切なのは、教育と軍事だ」という趣旨の話を何度か聞きました。
国防によって国を守ること。そして教育によって、次の時代を担う人を育てること。歴史を見ても、この二つが重要だという考えには、自分も強く影響を受けています。
会社経営でも同じです。人を育てなければ、組織は続きません。自分が学んだこと、失敗したこと、先輩から教えてもらったことを、次の世代へ渡していく必要があります。
良い師匠に出会えたことは幸運だった
振り返れば、起業前に転職した理由は、「自分が井の中の蛙ではないか」を確認したかったからでした。結果として、違う環境で仕事をし、違う価値観に触れ、優秀な経営者や上司から多くを学ぶことができました。そして仕事の進め方だけでなく、商売における信用、義理、人材教育、経営者としての器についてまで学ばせてもらいました。
起業してから随分と時間が経ちましたが、今でも当時の経験や言葉が経営判断の基準になっていることがあります。そう考えると、あのとき転職した判断は間違っていなかった。そして何より、人生の早い段階で良い師匠に出会えたことは、今考えても本当に幸運だったと思います。
