
高野七口(こうやななくち)とは、昔の人が高野山へ参詣するために使った主要な7本の道=7つの入口のことです。
弘法大師様への信仰が広まるにつれて各地から高野山へ向かう道が発達し、山の近くで大きく7ルートに集約されました。高野山という山上の聖地に、東西南北いろんな地域から登ってくる7本の参詣道のこと。
【1】町石道(ちょういしみち) 【世界遺産】
町石道は九度山町慈尊院から矢立、花坂、大門を経て高野山奥院へ至る約24kmの参詣道。高野山への表参道として最も早くからひらかれた道。鎌倉時代に建立された五輪卒塔婆をかたどった町石が1町(約109m)ごとに立ち、古からの信仰が偲ばれる。平成16年世界遺産に登録されました。 高野七口の中でも一番「王道の高野詣」を体験した感じですが、結構ハードです。朝から気合入れて登らないと昼からだと夕方なって暗くて危険です。
【2】京大阪道(きょうおおさかみち) 不動坂:世界遺産
京都・大阪(大阪)・堺方面から河内長野を経て、紀見峠を越え、橋本で紀の川を渡り、学文路(かむろ)から九度山町の河根(かね)で丹生川(にゅうかわ)を渡り、高野町の神谷(かみや)を経て高野山に至る道で、高野参詣道で最も多くの参詣者に用いられたと言われる。堺から高野山女人堂まで1里(約4km)ごとに里道標石が建てられてます。
【3】黒河道(くろこみち)
橋本方面から高野山へ向かう山道。距離も長く、現在でもかなり健脚向けです。
【4】大峰道(おおみねみち)
吉野・大峰方面から高野山へ向かう道。修験道の大峰と高野山を結ぶルートでもあります。
【5】熊野参詣道(くまのさんけいみち) 小辺路(こへち) 世界遺産
高野山の南、大瀧口に至る道で、高野山と熊野本宮を繋(つな)いで紀伊山地の山々を南北に貫く全長72kmのルート。高野山からは伯母子峠(おばことうげ)・三浦峠(みうらとうげ)・果無峠(はてなしとうげ)の三つの大きな峠を越えて熊野本宮に至る。道中には石畳(いしだたみ)や苔むした石仏(こけ)など、かつての古道の雰囲気(ふんいき)が色濃く残っている。
【6】有田龍神道(ありだりゅうじんみち)
有田、龍神から高野山の龍神口(湯川口(ゆかわぐち)・保田口(やすだぐち)・簗瀬口(やなせぐち))に至るルートで、龍神から護摩壇山(ごまだんざん)、箕峠(みのとうげ)を経て北上し、有田川沿いに東進する道と花園の新子(あたらし)で合流し、辻の茶屋、湯川辻を経て高野山の大門に至る。
【7】相浦道(あいのうらみち)
相ノ浦(あいのうら)は高野山の南約5kmにある集落で、『紀伊国名所図会』には織田信長の重臣・佐久間信盛(さくまのぶもり)が追放されて住み着いたところと記されている。この相ノ浦から高野山内に入る道で、高野山南谷に至る。
ほかにもいくつかありまして、
◆ 女人道(にょにんみち) 世界遺産
高野山は明治5年(1872)まで女人禁制として女性の立ち入りを禁じていたため、高野山内への入口には女人堂と呼ばれる籠り堂があり、これらを綴るように八葉蓮華の峰々をめぐり、山内を遥拝した道が女人道と言われている。この道は高野山内と山外を画する境界にあたることから結界道とも呼ばれた。平成28年10月世界遺産に追加登録された。
◆ 三谷坂(みたに) 世界遺産
かつらぎ町三谷の丹生酒殿神社(にうさかどのじんじゃ)から丹生都比売神社(にうつひめじんじゃ)に参拝して町石道へ、又は笠松峠から直接町石道へ至る道。久安3〜6年(1147〜50)に御室御所覚法法親王(おむろごしょかくほうほうしんのう)が用いた記録が残る。沿道には笠石(かさいし)、頼切地蔵(ほきれじぞう)などの石造物が残る。大正13年(1924)に丹生都比売神社が官幣大社(かんぺいたいしゃ)となった際に勅使(ちょくし)が通ったことから「勅使坂」とも呼ばれる。平成28年世界遺産に追加登録された。
◆ 麻生津道(西国街道)(おうづみち(さいごくかいどう))
紀の川市の麻生津から麻生津峠を越え、かつらぎ町の志賀から高野町の矢立(やたて)で町石道に合流する。和歌山への往還にはもっぱらこの道が用いられた。
【1】【2】【3】は完全制覇、女人道も高野三山しっかり登ったので完全制覇、ただ、小辺路、大峰道、有田龍神道、相浦道、三谷坂なんかはちょこっと歩いたけど全部とはいえない、みたいな感じだったりもします。有田龍神道なんかは、龍神から護摩壇山なんて書いてるしウルトラマラソンでは走ったけど、本気の山登りなので超絶ハードだしとかとか。まあ頃合見ながらこのへんもいつか。
