
人はおむつに始まりおむつで終わる、みたいな話を聞いたことがあってなるほどなるほどと思ったのですが、少しニュアンス違うけど同じような言葉を聞いたのですが「人は麦茶で始まり麦茶で終わる」というものです。確かに小さい時には汗いっぱいかいて麦茶飲ませたらぐびぐび飲んでた記憶を思い出して、今のどかわくとポカリとかもあるのですが冷えた麦茶がええわ、みたいな感に落ち着くのはすごくわかるのです。
なんかお洒落な飲みものよりも麦茶でいいし、とかを感じるわけでもあって。温故知新が最後人間の味覚に残るのかもしれなくて、いろんな味や世界を知っても落ち着くところに落ち着く、そんな感もあります。
小さい時からこの世の中の全てのものに神が宿るとか、正月にお盆にクリスマスにと神様が身近なところにいると言われ続けてきた習慣や慣習が結局は「自分の原点」であって、戻るべきところに戻るような風にも思います。山を拝み、岩を御神体として、日々見る太陽を拝む対象として日々生きてきたことを考えると「麦茶」なんかもそんなものなのでしょう、なので麦茶でもええよ、という消去法でなくて麦茶を飲みたいと選ぶようにもなってくる、「人は麦茶で始まり麦茶で終わる」に思うわけです。
メメントモリという言葉、意味は「死を忘れるな」というものですが、身近な方の訃報などを聞くことがあるとしみじみ思います。
いつか死ぬという言葉もそうですし、苦痛を我慢する先には何もないのでは、という感覚もそう。前に読んだDIE WITH ZEROにもありましたが、資産家が資産を残してもそれは意義がないという話もそうです。「三流は金を残し、二流は事業を残し、一流は人を残す」、四流なので何も残せない気しかしませんし、五流以下なので負債を残しそうな気もしてますけど、五流が四流になったところで意味も見いだせないような気もしているからこそ、麦茶が美味しいなあと感じながら逝きたいものですとかを感じています。
無理でもワールドカップ行けばよかったとか、若者でワールドカップ現地で応援してる人たちに嫉妬もあるのですが、久しぶりに「若者はええなあ」と嫉妬しています。
ドーハの悲劇を知ってるおじさんからすれば今の代表の強さなんて想像もつかないものですが、FBなんかを見てタイムラインに「代表最高!」とか言ってる知り合いいると悔しくなるのは、まだ悟り開く境地まで至らない愚者の証。まだまだです。
