弁慶の立ち往生とか、弁慶の泣き所とか、いろんな言葉の由来になっている弁慶ですが、田辺市で生まれたとされています。
そういうわけで弁慶市とか、弁慶祭りとかまあ弁慶にいわれのあるいろんな行事もあったりします。弁慶は義経と五条大橋で戦って負けて依頼家来になって戦いますが、最後の最後義経が奥州藤原氏に攻め立てられて自害するのですが、その主君を守るために弁慶は敵から無数の矢を受けて立ったまま絶命したと言われています、これが弁慶の立ち往生です。
そんな街で育ったので、縁あって奥州平泉・中尊寺に行った時にはなんか感慨深いものがありました。
たまに弁慶さん写真撮影されてたりしますが、今日は快晴でいい感じに撮れました、本当に立ち往生したのかは歴史なのでわかってませんがそれだけ忠義深く強い人だった話です。
ちなみに「矢面に立つ」という言葉ありますけど、批判や文句を言われる中心になって攻撃を受ける、というような意味でもありますが、主君義経を守るために弁慶は敵からの攻撃に対して縦になり矢面に立ちました、矢面に立つことはこわいことでもありますが、その勇気と強さは称賛されるべきと思います。