#460回を超す田辺祭
#ものづくりの本質
#地域とのつながり
#ものづくりは人の思い出をつくる仕事
田辺祭には不思議な力がある。
一年に一度同じ場所で、同じように笛が鳴り笠鉾が町を巡る。それだけなのに、人は毎年その日を待ちわび気がつけば自然と足を運んでいる。新しいものを見に行くというより、「今年も変わらず田辺祭がある」という安心を確かめに行っているのかもしれない。
今年も田辺祭で、企業様と一緒に製作したうちわを配っていた。
暑い夏だから受け取った方がその場で使ってくださるだけでも十分うれしい。そんなことを思いながら配っていると、一人のおばあちゃんの姿が目に入った。そのおばあちゃんが手にされていたのは、今年のうちわではなかった。
よく見ると、一昨年にうちが製作したうちわだった。
少し色あせ、縁も擦れている。それでも大切に使われてきたことが分かるそのうちわで、今年も静かに風を送りながら笠鉾を眺めておられて、思わず胸が熱くなった。
配った当時は「その日だけ使ってもらえたら十分」と思っていた一本のうちわが、二年という時間を経て再び祭りの会場へ戻ってきたのである。
ものには不思議とその人の時間が宿るもので、古い時計や使い込まれた財布だけではなく、一枚の写真も一冊の本も一本のうちわもそうだ。長く使われるものにはその人の思い出が静かに積み重なっていく。
中学生や高校生にとって、お祭りといえば友達と待ち合わせをして、屋台でかき氷を食べたり、焼きそばを食べたり、そんな夏の楽しい一日なのだろう。それはそれで、かけがえのない思い出になるけれど、おばあちゃんの世代にとって田辺祭はもう少し違う意味を持っているような気がする。
テレビもスマホもなく娯楽が多くなかった時代、田辺祭は一年でいちばん華やかな日だったはず。豪華な笠鉾が町を巡りお囃子が響き渡る。その姿に胸を躍らせ「田辺祭が来た」と心から喜んだ子ども時代があったのではないだろうか。あのおばあちゃんも、幼い頃は家族に手を引かれながら笠鉾を見上げていたのかもしれない。
やがて大人になり、親になり、祖父母になっても毎年変わらず田辺祭へ足を運ぶ。そこには祭を見に来ているというより、自分の人生を重ね合わせに来ているような、そんな時間の流れを感じた。
田辺祭が四百年以上続いてきた理由も、きっとそこにある。
田辺祭は地域の文化を守るだけではない。その時代、その時代を生きた人の思い出を受け止め、次の世代へ静かに手渡していく。だから何百年たっても人は田辺祭に惹かれるのだろう。
自分は仕事でホームページを作り、パンフレットを作り、動画を作り、そして、ときにはうちわも作る。仕事だから、成果を数字で見ることももちろん大切だ。けれど、「この田辺祭うちわ毎年使ってるよ」と言ってもらえることには数字では表せない価値がある。ものづくりとは、単に形あるものを作る仕事ではなく、誰かの暮らしの中に入り込みその人の思い出の一部になる仕事なのだと思う。今年の田辺祭で見かけた一本のうちわは、そのことを静かに教えてくれた。
来年もまた、新しい田辺祭うちわを作るだろう。そして何年か先の田辺祭でまた誰かがそのうちわを手に、笠鉾を見上げてくれていたなら。作り手としてそれ以上にうれしいことはないように思っている。

