三方ヶ原の戦いですが、徳川家康が31歳のときに武田信玄と戦い惨敗した戦いのことです。あまりにも惨敗で部下を失い、自分の浅はかさに気付いた家康はそのときの絵を部下に描かせて生涯持っていたそうです。
そのときの絵がこの徳川家康三方ヶ原戦役画像です。

慢心の自戒の絵、だそうで、徳川家康は昔は今川家や織田家に人質としていた時代もあったのですが、そこから桶狭間の戦いを経て、三方ヶ原の戦いなどを経て武将に成長し、そして徳川幕府の礎を築きます。自戒の絵を常に持ち、慢心を防いだ家康。
また家康には孕石主水のエピソードがありますが、それはこちらに引用。
「永禄11年(1568年)の武田信玄の駿河侵攻で、今川家から武田家の家臣となった。天正9年(1581年)3月、高天神城陥落の際に家康に捕らえられ、家康に切腹させられた。今川家臣時代は人質時代の徳川家康と屋敷が隣り合わせで、「三河の小せがれ」と家康を軽侮するなど散々な仕打ちを与えてきた。このことを覚えていた家康は、切腹させる際にそのときの恨みごとをたっぷりとぶちまけたという。」
→ 不遇な時に受けた好意は特に嬉しいもので、忘れられないものであるが、逆に、不遇な時の、しかも幼い時の恨みもまた忘れえぬものである・・・といったエピソードである。どちらも人間のやること。行為の善悪は問えませんが、不運でも幸運でも変わりなく生きたいもの、そう感じます。
若さの情熱と、三方ヶ原の記憶


手あかで黒ずんだ本の横面は、私にとって勲章のようなもので、合格は手にできなかったけれど、「ここまでやった」という時間だけは今もこの本に残っています。









関大法学部入って司法試験受かって弁護士なるぞと決意して大阪に来たので、20歳前後くらいの昔、司法試験に挑戦していた時期があります。断念したとき、問題集や試験解説テキストのほとんどは思い切って処分しましたが、どうしても捨てられなかったものが二冊だけあります。書き込みだらけになった民法の択一問題集と事例集です。
久しぶりに開いてみると、ページの余白という余白に、赤や青、黒のペンで文字がびっしりで、条文番号を書き、判例を整理し、間違えた理由を書き込み、何度も線を引いているので、当時は必死だったのが思い出されます。
今見ると、朝から予備校に行き模試を受けて、大学図書館にこもり9時なって吹田寿町のデニーズで珈琲の見ながら今日の模試復習をして、24時くらいに帰って寝る、修験道のような世界にどっぷりだったので、自分でも少し引くくらいだった気がします。
自分の司法試験への挑戦は、結果だけを見れば「断念」ですが、この本を見ると単純な失敗だったとは思えません。若いうちに一つのことへここまで夢中になり、時間を使い、悩み、苦しみ、それでも前へ進もうとしたという貴重なその経験は、その後会社をつくり仕事を続けていく中でも、確実に自分の土台になっています。
徳川家康は三方ヶ原の戦いで武田信玄に大敗し、その惨敗を忘れないため、自らの姿を描かせたという有名な逸話があります。真偽についてはいろいろな説がありますが私はあの話が好きで、成功した記憶だけでなく、苦しかった時代や負けた記憶を手元に置いておく。私にとってこの書き込みだらけの民法の本も、少し似た存在なのかもしれません。今振り返ると、20代の自分は怖いもの知らずでした。司法試験に受かる保証などどこにもない。それでも、「やれば何とかなる」と本気で思い、膨大な時間を投入していました。若さゆえの無謀さでもありますが、同時に若さにしか持てない情熱だったとも思います。
最近、20歳前後の若い人と接する機会も多いのですが、「これを絶対にやりたい」「多少苦しくても、ここまで行きたい」という熱量を持った人に出会うことが少なくなったように感じます。もちろん世代でひとくくりにはできません。ただ、失敗を避け、無理をせず、自分に合わなければ早めに離れる、という価値観が強くなっているようには感じます。それが悪いとは思いません。ただ夢を追えば、当然しんどい。仕事でも勉強でも本気になれば悩みます。時には逃げたくなる。その「しんどさ」まで避けてしまえば、自分でも驚くほど何かに夢中になった、という経験はなかなか得られません。
この民法の本を見るたびに思います。
あの頃は苦しかった。でも、あれだけ必死になれた若い自分は、なかなか悪くない。そして今の若い人にも、一度くらいは、後から見返して「自分、ようここまでやったな」と思えるほど、何かに熱中する経験をしてほしいと思っています。万が一自分のように失敗しても、そこから立ち上がることができるのもまた若さの強みだと思うのです。
