


和歌山護国神社へおまいり、ちょうど仕事が近くだったのでタイミングよく。
このあたりに来るとセンター試験でぞろぞろとこのあたりのホテルに泊まって受験の桐蔭高校に歩いて行ったのを思い出しますが、あのときにいまこの状況は全く想像もできてなかったわけでまあ人生そんなものです。
縁あって和歌山でも仕事させてもらってますが、どれだけ提案書いても正論述べても熱心でも結局「信頼と実績」には勝てないわけで、今でも頑張っても頑張っても結局は「〇〇さんとこもやってるの、それじゃええで」の一言だけで仕事が動いてしまったりするので、力不足もありますが世の中そんなものなんでしょうと思ってしまう次第です。ことそんなものなので「俺の組織論」とか「俺の仕事論」「俺のIT論」的なのは全然だめでそれなら「やらかし先生」のほうがよっぽど自信もって語れるわけなので、やらかし理論と欲深理論はオチもつけて話できるのでこれには信頼と実績があるように思います。
それでもってそのやらかし時は真剣なので、やらかしてると気付いてないのがまた痛いので余計に信ぴょう性が高まるわけです、経験値が異様に高くなるというメリットもあるので一部には非常に響く話になっているようです。
失敗自慢とかでなくその後数えきれないくらいの反芻して思いだすのも嫌なくらいの激痛に変えているので、もうかさぶたなので触れれる、そんなものです。
前に立派なえらい人が言ってた話ですが、「人間は恥をたくさんかいて反省して自分を高めるものだ」的な話を聞きまして、失敗談や恥ずかしい話が親近感わいた記憶があって、自慢にもならないですが恥ずかしい話など山ほどあります。仕事で言えばなんかすごいマーケティング商材みたいなものを買ったけどさっぱりだったとかの、何となく今の情報商材っぽいものに往々に後悔していたりします、みたいな失敗談でもあって恥ずかしい話をするのですが、やらかした話は自らするのは非常にいいことだと思います。
言葉にして笑いにするとこれで失敗が面白ネタに変わり、後悔が成仏するような、そんな感じになれますので。
ついでに覚えているマーケティング商材話では「サービスは刺さる人と刺さらない人がいる」という話が超重要として話されていました、さすがです。
