昔は関目4丁目あたりにあったそうで、京街道の「七曲がり」のあのあたりです。
今は鰻の魚伊さんあるあのあたりくらいにあったらしく。今はいろいろあってこの場所になっています。大宮神社の創建は今から約840年前だそうです。源義経による創建と言われています。
下記は御朱印とお守りをいただいたときにもらった説明からです。
神社に誰もおまいりに来ないと神社はさびれてしまいます、とは言っても年がら年中人がひっきりなしに人が来ることも、24時間ずっと来ることもまた困るものです。通常はオープンになっているので入り口にカラーコーンを置くなど可能でも、忍び込んでお参りしようと思うとできるものなので。また毎日お参りに行かなくても、お正月におまいりに行く、七五三にはいく、還暦でお礼に行く、お宮参りをする、などでも十分にいいものだと思います。
あとはお祭りがあるのでその際には子供たちは遊びに行く、大人は子供を連れて行く、そんなものだと思います。
大宮神社の創建は今から約840年前に遡ります。文治元年二月(1185年)に源義経が平氏追討の下向の折、この地に立ち寄り、宇佐八幡の神の霊夢を見て目覚めたところ、一樹の梅の古木に霊鏡がかけられていました。
義経は我に神助ありと勇気百倍になり、その鏡を奉じて平家を打ち滅ぼし、このことを後鳥羽天皇に奏上して神社建立を許され、この地に社を建て「大宮八幡宮」と称したと伝えられています。
摂津誌には「南島神社」と記されています。時代は降り、天正十一年(1583年)には豊臣秀吉が大坂城築城にあたって、当社を「鬼門守護神」と崇めました。社殿・末社の建立や神域の整備が手がけられ、毎年正月、五月、九月に幣帛を献じお祀りしたと伝えられます。当時の社殿は広壮で境内は三ヘクタールあり、南は京街道(現在の関目高殿駅の西側)に一の鳥居があ
そこから神社まで続く参道には両側に松並木が続いていました。境内には樹木がうっそうと茂り、四周に清らかな流れがひかれていたそうです。殊に朱の社殿、朱の橋が社の緑に映える姿は荘厳この上もなかったと伝えられています。
続く徳川時代にも大坂城の鬼門守護神としての信仰は厚く、大坂城代の交代時には当社への参拝が行なわれ、毎年正月には初穂料を、また五月、九月には大幣を献納して祈願したと伝えられます。しかし、社殿などは年を追って衰微していましたが、天明・寛政の時代に、祠官廣渕肥後守善直が社殿・境内の復旧に努め、その功により朝廷から従五位下を授けられています。