会津川沿いの熊野橋わたって広がる梅畑の真ん中、実は万呂王子です。
場所はなんとなくわかるけど、ちょっと工事してるところを行くとほんとにありました、万呂王子跡です。ここを後白河法皇は熊野詣で34回も通ったのかと考えると勝手に源平の「海の中にも都はございます」という安徳天皇8才の想像が出てくるのですが、どうでもいい教養はただの梅畑の碑だけで娯楽になります。
後白河法皇と同時期の「藤原成通(ふじわらのなりみち)」さんは、蹴鞠においては後世まで「蹴聖」と呼ばれて、長く蹴鞠の手本とされたそうで。
藤原成通さんは蹴鞠庭に立つこと7000日、うち2000日は連日蹴り続けたらしく、1000日休まず蹴鞠をする千日行を達成した、とあって、いわば平安末期におけるサッカーの神様ペレです。
藤原成通さんは熊野詣にも何回も来たらしく、熊野本宮大社で拝礼の後、うしろ鞠(後ろ向きに踵でリフティングすること)を奉納されたところ、200回上げて落とさなかったそうですが、これサッカーボールで考えても神ってます。
梅畑の木の碑を見ながら、蹴鞠鍛錬を行う藤原成通さんを勝手に偲ぶのですが、
蹴鞠やってみたいなあ。
あと、藤原成通さんいいこと言ってて「蹴鞠に興ずることのできる世の中は幸せな世の中で合って、いくさいくさとなれば蹴鞠やってる場合でもないし、みんなで蹴鞠楽しめるような政(まつりごと)がほんとにいいと思う。蹴鞠を楽しむし見るほうも蹴鞠を楽しめるような世の中がずっと続くといいものだ」的なことを言ってたらしく、これは正にサッカーにもひいてはスポーツ全般に通じるものだと思います。ワールドカップの時は戦争をちょっとストップしようぜ、のような紳士協定ないんですけど、そうあってほしいし、スポーツが平和の祭典というのは今も平安時代も変わりません。
そんなこと思いながら、万呂王子もまたいつか綺麗に整備されると思うので、今も梅畑万呂王子をおさめておきます。