前にツイッターで「子どものごはんは食べなくてもお供えだと思って出しておくと、ある時期になると見慣れてパクッと食べたりする」と言うのを読んで、かなり気が楽になった。それ以来、食べなくても「お供えお供え…」と思って乗り切ってます
— utamaro55 (@utamaro55) 2015, 9月 16
お供えではないのですが、視界に入っていることが大事で「ふと思い立った時にできるような環境」というのが大事かと思っています。やる気を出せ!とか燃え上がれ!と松岡修造さんばりにエネルギッシュにやる気を見せることも大事なのですが、自然発生的に何かをしようと思った時に選択肢があることはこれは幸せなことではないのかと。
会社には書籍や動画、盛和塾の本だったり格言などいろんなところに書いてますし貼ってます。ふとした時に染み入る言葉だったり10年後、20年後に響く言葉も多々あるはず。という感覚を今は持っているのでこの「お供えお供え・・」というのはわかります。すぐに響かない、明日に響く、あさってに響く、別の人と同じ言葉を聞き響く、いろんなパターンありますし、行動を持って響くことも。
マラソンのように自分がストイックでやればすぐに結果が出るマッチョなものもありますが、風土や文化、考え方なんて浸透には時間がかかるものだけど、組織文化的なものはまさにこのお供えな感覚を持つのは大事なのかと感じたりします。でないと「言うこと聞かない!」と日々葛藤でしんどい。自分ガンバレばいいのだ!とマッチョにマラソンやればタイムも早くなりますが、マッチョな自分だけだとしんどい。また全員にマッチョ求めるのも・・・。なんで。