



メロスはセリヌンティウスのために走ったのですが、ウルトラマラソンもまあ護摩木に祈祷してもらいたい、願いを込めてのランでした。
「メロスには竹馬の友があって、それはセリヌンティウスである」

竹馬の友のために走ったわけでもないのですが、完走することで少しでも元気になることがあるのなら喜んで65キロ走りますということなので、結局はダイエットとか高血圧解消とかそんなぬるい決意は弱いわけで友の命をかけて走るなどになれば本来の何倍もの力が出るものだと、意思決定論を強く信じたりしています。あとはがんばれとか想いを伝えようが何しようが、口ではなんでも発することできますけど所詮無力さも感じます。
綺麗事など腹の足しにもならず何の効果もないと思っているので、それなら自分の意地や根性や気合や感情を形にしたもののほうが伝わる派だったりします、仕事してる側なのでこの辺の言葉の軽さと金の重みは全く異なるものなのです。これはどん底味あわないとあまり気付かないようにも思う所だったりもします。
無能側と自認してるので無能は考えずにやる、とにかくやる、無能が行動もしないであれこれ言うのは大嫌いなので、病気で大変と思ったら護摩木祈祷で祈祷病気平癒ランするわけです。色紙も書けば動画も送る、家族に安心してもらう。護摩木祈祷とか言って10時間以上も那智勝浦で走ってるから仕事の納期もマッハでできず顧客の期待を3倍以上超えるなどできなくなってしまい、無能を自覚してるからわかってるのですが、ちょっとでも励みになればそれはまたそれでいいかと納得しています。所詮自分など無能だから頑張ってもこんなものです、「この日曜は那智勝浦のウルトラ65キロ走る」って言ってるのに、全く覚えておらずマラソン走ってる間に鬼電がばしばし鳴って受けてたりしますが、「奥さんの実家だし頑張ってな、完走したらすごいわ」と井関や色川や大野等地名で盛り上がっててたけれども、仕事も人生も顧客も全てそんなものです。終了したあと温泉つかって3時間半かけて車運転して夜12時くらいに大阪帰ったことのほうが、自分なりに「おれまあまあ頑張ったな」感じたりしています。
自分などちっぽけで微力でなんのプラスにもならんけど、祈ることや走ることはできるのでそんなことで少しでも元気になれば、なのです。これは自分ができるかぎりの貢献と思いの実践と感じてます。
なのでなんもなく普通にダイエット気分でウルトラ100キロ走ってる方たちは本当にリスペクトしかありません。
煩悩と綺麗ごとにまみれてる自分からすれば、自分以上の力出すにはなんかしらの別物必要ですが、なんもなく100キロ走る方への心からの尊敬が尽きません。
しかしなんでこんなに奥熊野韋駄天ウルトラにランナーユーチューバーさんがおるんやって話と、撮影しながらよく100キロ走るなあとほんとに思います。
ちなみに今回65キロ走ったので、『0.7ポイント』ゲットしましたが、100キロだと1ポイントつきまして、なんと10ポイントたまったら「奥熊野韋駄天」称号が得られるそうです、10年連続で100キロウルトラ完走したらもらえる、そうです・・。
商談などで名刺交換した際にぱっと、Pマークとかの資格横に『奥熊野韋駄天』って称号入ってたらもうノールックでサインします、「奥熊野韋駄天」称号入った名刺、作りたいですけど早くて10年だから、もらえても還暦くらいですが、大会で通常の数字ゼッケンではなく、名前が印字された「名前ゼッケン」を着用する名誉なので、次回にはじっくりゼッケンを見たいと思います。
こんなご年配の女性なのに『奥熊野韋駄天』!? という衝撃を感じてやります。
