




メロスはセリヌンティウスのために走ったのですが、ウルトラマラソンもまあ護摩木に祈祷してもらいたい、願いを込めてのランでした。
「メロスには竹馬の友があっ、。セリヌンティウスである」竹馬の友のために走ったわけでもないのですが、完走することで少しでも元気になることがあるのなら喜んで65キロ走りますということなので、結局はダイエットとか高血圧解消とかそんなぬるい決意は弱いわけで友の命をかけて走るなどになれば本来の何倍もの力が出るものだと、意思決定論を強く信じたりしています。
あとはがんばれとか想いを伝えようが何しようが、口ではなんでも発することできますけど所詮無力さも感じます。
綺麗事など腹の足しにもならず何の効果もないと思っているので、それなら自分の意地や根性や気合や感情を形にしたもののほうが伝わる派だったりします、仕事してる側なのでこの辺の言葉の軽さと金の重みは全く異なるものなのです。これはどん底味あわないとあまり気付かないようにも思う所。
自分などちっぽけで微力でなんのプラスにもならんけど、祈ることや走ることはできるのでそんなことで少しでも元気になれば、なのです。これは自分ができるかぎりの貢献と思いの実践と感じてます。
なのでなんもなく普通にダイエット気分でウルトラ100キロ走ってる方たちは本当に経緯しかありません、煩悩と綺麗ごとにまみれてる自分からすれば自分以上の力出すにはなんかしらの別物必要ですが、なんもなく100キロ走る方へのリスペクトが尽きませんので。
