

大東中央ロータリークラブさん。
楠木正行公は楠木正成公の息子、ここ飯盛山で四条畷の戦いで弱冠23歳で高師直に敗れ亡くなります。ただその武勇や父南朝のために命を尽くした父、正成公の誉もあって今でも四条畷神社でまつられています。
有名な桜井の別れですが、正成公が正行公と最期、別れる際に正行公にお前は来るなと諭します。
正成公は自分の死を予測して11歳の嫡子・正行に対し「生き残っていつの日か朝敵を滅せ」と諭し、後醍醐天皇から下賜された菊水の紋が入った短刀を授け今生の別れを告げ故郷の河内へ帰した、という有名な話が桜井の別れです。
四条畷神社は建武中興十五社としてその1つになっています。護良親王をまつる鎌倉宮、後醍醐様の吉野神宮、正成公の湊川神社、北畠親房の阿部野神社はおまいりできたのですが、ほかはまだ行けてないので機会を見て。
「子わかれの 松のしつくに袖ぬれて 昔をしのぶさくらゐの里」
大塔村の名前由来になっている護良親王=大塔宮も同じく、後醍醐天皇の南朝側で戦い散ったのですが、建武中興十五社として四条畷神社や湊川神社、鎌倉宮などに建武中興(建武の新政)に尽力した南朝側の皇族・武将などを主祭神とする15の神社に祀られています。
そんな桜井の別れの楠木正行公、飯盛山山頂に大きな銅像がありましてここにある看板がきれいになっていて、大東中央ロータリークラブさんが変えてくれたようです。
大東中央ロータリークラブさんの奉仕の精神、ありがとうございます。