






ふたたび熊野本宮大社のエピソードですが、中村覚之助さんは熊野出身で明治時代に初めてサッカー部を創った人だそうで。その縁もあってサッカーのエンブレム決定時に熊野大社のヤタガラスが選ばれたそうです。神社の前にはキリンの自販機もあります、よく考えると、白浜空港まで東京から1時間ちょっと、白浜から熊野までは車で1時間ちょっと、すごく近い場所だったりします。
そんなことを今の今になって知ったりなのですが、いろんなエピソードがあります。
中村覚之助さん伝説【1】筑波出身
実は中村覚之助さんは那智勝浦町出身なのですが、東京高等師範学校(筑波大学の前身)で学ばれています。もう100年以上前で和歌山から筑波に勉強で行くくらいなので、すごく勉強ができたそうです。筑波と言えば三苫選手、卒業論文にサッカーのドリブルの研究を書いたとかいう話を聞きましたし、今でも筑波と聞くと知的なインテリジェンスな選手が多いような、風間ヤッヒー監督も確か筑波大出身です。
中村覚之助さん伝説【2】アソシエーションフットボール
サッカーの名前の由来ですが、昔はサッカーのことをassociation football、アソシエーションフットボールと言ったのですが、長いのでその「soc」を抜いてサッカーになったそうです。
物事何でも昔から長いと短く省略することがありますが、本来はアソシエーションフットボールと言われてまして、このアソシエーションフットボールを始めたのが中村覚之助さんなんです。
中村覚之助さん伝説【3】ア式蹴球部
中村覚之助さんがアソシエーションフットボールを作り、他の大学でもサッカー部を作るようになりました。早稲田大学、一橋大学、東京大学、慶応大学、などなどと広まったのですが、中村覚之助さんの作ったアソシエーションフットボール、長いので「ア式蹴球部」という名前で省略して作ったのが早稲田大学、一橋大学、東京大学でして、そのまま時代は明治、大正、昭和、平成、令和と流れチーム名はいまだに実は「ア式蹴球部」のまま。。
早稲田大学、一橋大学、東京大学はサッカー部はありません、「ア式蹴球部」はありますのです。あしき。
中村覚之助さん伝説【4】ソッカー部
早稲田大学、一橋大学、東京大学と違って、慶應義塾体育会はソッカー部、サッカーでなくソッカー部なんですけどこれはSOCCERをローマ字ぽく読んだもので、は明治、大正、昭和、平成、令和と流れチーム名はいまだに実は「ソッカー部」のまま。。
まさか中村覚之助さんも令和の時代でも使ってるとかはまさか思わなかったでしょう。
