孝徳天皇の皇子だった有間皇子ですが、蘇我赤兄にそそのかされて謀反を起こそうと画策するも蘇我赤兄が裏切って逆に捉えられてしまいます。
蘇我赤兄は蘇我入鹿のいとこですが、昔も今も政権争いにはいろいろあるんです。
謀反の罪に問われ、護送される途次、岩代で松の枝を引き結んで、
磐代の浜松が枝を引き結び 真幸くあらばまた還り見む
家にあらば笥に盛る飯を草枕 旅にしあれば椎の葉に盛る(万葉集)
と歌を詠み、岩代の神に自分の平安の無事を祈りました。岩代の地はその後、熊野街道の名所となりました。
昔は岩代は磐代だったようです。
意訳:磐代の浜の松の枝を引き結んで神様に祈るのだけど、幸いにも無事であったなら、またここに立ち寄ってこの松を見たい。
意訳:普段は食器にご飯を盛るけど、旅に出たら椎の葉にもってご飯持って食べないといけない。(それほど悲しいな、早く家に帰りたいものだ)
結局有間皇子は19歳の若さ、藤白坂で処刑され亡くなります。
「藤白の み坂を越ゆと 白たへの わが衣手は ぬれにけるかも」
海南の藤代神社では有間皇子を祀っています。
岩代はみなべ町なのですが、ウミガメの産卵地として有名な千里の浜もあるので、特急くろしおが白浜方面に進むときで晴れている日には車掌さんがゆっくり走ってくれたりします。田辺湾に入って白浜が見えるのでここの景色や車掌さんの声がかかると田辺に帰って来たなという望郷の思いが消え去ります。くろしおに乗った際にはぜひ味わってください。
ちなみにこの紀南地方では、2025年人口調査のようなものが出ていて、
田辺市 7.09万
白浜町 2.07万
みなべ町 1.21万
印南町 0.80万
上富田町 1.56万 くらいの人口なので12万人程度の市場規模になりますが、都会人からすると
・虫が嫌い、家にも虫が出る
・お店が少ない
・方言がわからない のようなことを言われておりまして、このへんお隣同士の和歌山大阪でも文化の相違が相容れないものだとしみじみ思います。