経営をしていると能力の高さ以上に「人が変われるかどうか」が重要だと感じます。仕事で失敗するとか、上司や顧客から指摘されるとか、自分の考えが間違っていたと気づくこと、そんな場面で人の本質が出ます。
指摘を受けた瞬間に「反省・学び」へ向かえる人もいれば、「苛立ち・混乱・言い訳」に向かう人もいますけど、これらの違いは何なのか。
一つは、これまでの人生で自分のプライドを壊された経験があるかどうかだと思います。
優秀な人ほど自分の能力に自信があります。しかしプライドが高すぎるとできない自分を認められないわけで、失敗したときに「自分のやり方が間違っていた」と考えるのではなく環境や相手に原因を求めてしまうものです、逆に、一度でも「自分は大したことがない」と思い知らされる経験をすると強いと思います。まず自己否定できるので、できなかった負けた、恥をかいた、自信を失った、全て自分に矢印を向けることができます。そこから「じゃあ、もう少しやってみよう」と立ち上がった人は、指摘されることへの耐性ができますが、これは、プライドがなくなるのではなく、プライドとの付き合い方が変わるのだと思います。
そしてもう一つ経営をしていて大切だと感じるのが「他人の成功を喜べるか」です。
誰かが成功したとき「なんであいつが」と思う人もいれば「よかったな」と思える人もいますけど、できれば後者の人と仕事がしたいものです。他人の幸せを願ったからといって、自分の幸せが減るわけではありませんし、むしろ、人の成功を喜べる人の周囲には自然と人が集まります。逆に人の成功を妬み、失敗を喜び足を引っ張ろうとする人は、結局その感情によって自分自身を消耗させていくもので、昔からあることわざで「人を呪わば穴二つ」という言葉があります。誰かを落とそうとして掘った穴はいつか自分自身が落ちる穴にもなる、これは単なる道徳ではなく仕事でも組織でもかなり当てはまるように感じます。
経営者として人を見るとき、「失敗しない人」をそれほど評価しません。それよりも失敗したときに自分を修正できる人や、指摘を受け止められる人に他人の成功を喜べる人などは、こういう人は、時間とともに伸びていきます。
逆に危ないのは、自分を守ることばかり考える人です。言い訳して責任を外に置き、自分の正しさを守ろうとする、これを続ける限り、経験年数だけ増えても人はなかなか成長しません。プライドは必要ですが守るためのプライドではなく、壊されても立ち上がれるプライドを持つ。
負けてもいいし間違ってもいい、恥をかいてもいいのですが、そこで自分を修正しまた前へ進める人間でありたいと思います。
結局安穏とした場所でぬくぬくしても失敗も成長もないので、チャレンジすることの重要性はここなりますし、経営も人生も、その繰り返しなのだと思います。
結論:奥熊野ウルトラマラソン65kmにエントリーすること、挑戦です。生まれたての小鹿のようにへろへろで、泣きそうになって歩いてるのか走ってるのかわかんない速度でゴールを迎える醜態を経験すれば、これはまた研鑽の1つではないかと。来年2027年エントリーは11月から開始らしい・・・

